2007年5月13日日曜日

ご報告 2

昨日、式場で挨拶させてもらいました。恐縮ですが、その弔文を投稿します。


本日は亡き父北村和夫の告別式に足をお運びいただき誠にありがとうございます。

遺族代表として私、長男の北村有起哉が御挨拶させていただきます。

父は先月二十日、軽い脳梗塞で倒れ、入院いたしました。その後、順調に快復し、家族も少し安心しておりました。ところがリハビリが本格的に始まろうとした今月二日、肺炎を併発し、容態は急変いたしました。
父は今まで幾度となく、様々な病気と闘い、そして克服してきた男です。だからこの状況でも、持ち前の強靱な体力で必ず元気になってくれると信じていました。
しかし、四日後の五月六日の朝、私どもの願いも虚しく、家族に囲まれながら、父は永眠いたしました。享年八十歳でした。

役者という仕事は肉体労働だと思います。最後の最後まで現役であり続けた父は、身体のあちこちに故障を抱えていました。特に心臓はかなり悪く、医者からも、あまり負担をかけないように言われていたようです。
あらゆる感受性を駆使し、時に激しく、時に穏やかに、めまぐるしく心情を変化させるのが役者だとすれば、父にとって演ずることは、寿命を縮めることと背中合わせだったのかもしれません。
医者に注意されても、それでも父はおそらく、一つ一つの仕事に、心を込めて役に取り組み、やはり心臓を酷使していたのだと思います。
もちろん、健康に気を付けて欲しいと思っていましたが、かといって、ハートのない芝居をする父なんて観たくなかったし、想像もできない。家族としては複雑な心境でした。

その家族の中で、父親としての顔を思い出すと…、実はあまり記憶にありません。オヤジは放任主義で、私達子供三人の学力や進路に口を挟むこともありませんでした。僕が役者を志した時も、賛成も反対もせず一言、“おぅ、そうか…”と。
父の無言の背中から感じたのは、“とことん楽しく自由に生きろ、ただしそのぶん頑張れ”ということです。親父の芝居を通して教えてもらった宝物だと思ってます。
それでもたまにボソッと、“普段の時ほど大切にしろよ”と言ってました。稽古中でも、芝居の最中でもなく、それ以外のなんでもない普通の時こそだぞ、と。この漠然としたアドバイスは、これからも常に心に引っかかっていくと思います。
父親の思い出…。日曜日のキャッチボールとか連休の家族旅行とか、ほとんどありませんでした。が、いま北村和夫を失い、少しずつ父親像が浮かび上がってきてる気がしてます。やはり“普段は一人の父親だったんだ。”と。そんな心地で胸が熱くなります。

父は、我が道を貫き通しました。見事に、そこにあった役者という人生を全うしたんだと。父を誇りに思います。個人的には、僕も役者の端くれとして、父のように生きてやるつもりです。

あまりに突然の死で、正直、まだ信じられないのですが、でも、人生を全うした父を、堂々と、晴れやかに送りたいと思います。
もしかしたら、この式を待てずに、食事制限のない天国で、ムシャムシャ、ガブガブしてるかもしれません。


父は声が大きかったので、サイゴに僕もデカイ声で失礼します。
オヤジ、昨日も巨人勝ったぞ、いままで素晴らしい芝居をありがとう、オヤジの千秋楽は無事に終わったぞ、本当におつかれさまでした。


本日はご参列していただき、誠にありがとうございました。

北村有起哉