2006年10月31日火曜日

長州ファイブ

先日、映画『長州ファイブ』の宣伝活動のため、山口県に行ってました。全国に先駆け て県内の映画館で先行ロードショーをするにあたってのキャンペーンです。作品が無事に完成し、これまでにイギリス大使館の特別試写会などでせっかく招待し てもらっていたのに、なかなか都合がつかず、ずっと僕を除いた長州フォー(4)だったんだが、今回やっと参加できて、ようやくファイブが揃った次第です。 映画館を3つほどまわりましたが、どこも満員御礼でとても嬉しかった。つーか内心、この町にこんなにヒトがいるなんて、とびっくりした。
実は僕自身まだ作品を観ていません。だからエラソーなコメントはできないのでは、と普通は思われるかもしれないけど、いーえ、全然、堂々と云えます。“おもしろいからぜひ観て下さい!”と。
つ い最近まで、やってた東京国際映画祭で「ある視点」部門で選ばれました。オメデトーん。あ、この時も長州フォーがレッドカーペット歩いてきてくれたらしい んだが、「ある視点」ってのが、やっぱりひっかかりやした。いや全然もちろん光栄なんですが、“ある”視点ねェ~と思いまして。いつ? どこで? だれ が? だれと? どんだけ? こんだけ? 焼酎は? 芋? うすめ? 終電何時? え、帰んの!?
ちょっと脱線しましたが、“ある視点”ってのはたぶんそんだけ広い視野、解釈ができるような気がします。
“ない視点”部門はさすがにないだろーね。

2006年10月25日水曜日

くらッ テレビ塔

名古屋の早朝
終わった とりあえずゼンブ無事おかげさまで終わりました。 お疲れさま おかげさま、今回もおかげさまでした。ヒトリでブラブラしてます。余韻を独り占めです。ちょっと歩けば、テレビ塔。
ありがと、なごやドラゴンズ。
やっぱり頑張れファイターズ!2勝1敗
本当に今回の公演はいろんなことがありました。なんだかなんだかいっぱいの盛りだくさん、ありがとう。
タツヤ、トモコさん、こーたろーさん、横田さん、タータン、サガワさん、タムラくん、ヨーコ、壷持ってくれてた娘、ガシャガシャの兵隊の青年。そして何と言っても雨ざざ降りコロスの 方々。アポロンももちろん。
ニ ナガワさん、演出部さん、訳してくれたヤマガタさん、ドンドン、チリチリいろんな音を奏でてくれた方々、照明さん、衣装さん、ヘアメイクさん、特殊効果さ ん、音効さん、ウランさん。チケットで苦労してくれてた制作さん。そして、東京、大阪、名古屋と活動させていだだいた劇場さん

ありがとう!
かーッ、終わった。
終わっても、もう 新しい朝焼けが俺を照らしやがる。
お疲れさまー
ユキヤ

2006年10月17日火曜日

わざわざ

おかげさまで大阪公演も無事に千秋楽を迎えることができました。ちょうどマスコミをお騒がせしてしまった最中だったので、やはりなおさら気合いの入った期間でした。入りすぎで空回りした回もありましたが、うわわ、みたいな。
そ して今回の公演で、舞台ってのは本当に生なんだな、とさらに痛感させてもらいました。野球で日本ハムが優勝しても、北朝鮮が核ミサイルの実験をしても、同 じ作品を同じスタッフで同じ役者で同じセリフを言う。なんか凄いなぁ、と改めて感じました。以前に父親から聞いた話で、地下鉄サリン事件のヨルに公演を うってたが、さすがに役者陣もそして観客も、なんだかソワソワぎこちなく、妙な気分だった、と言ってました。それはそーかもなー。そういえば自分も、デリ バリーのバイトしてて、なんで俺いま時給稼いでんだろ?と思ってたし。二十歳のころ俳優養成所で先生が言ってた。銀行員と俳優と、いなくなったらみんなが 困る職業はどっちだ?というラフな問いだった。うん、ミモフタモナイ。なるほど、なるだけ信じて突っ走るしかないな。

つながってないようで自分の中ではつながってるコメントでした。

2006年10月11日水曜日

生声

私が携帯を紛失して、プライベートの画像が流出してしまいました。水野美紀さんと交際をしてても、してなくても、一女優のイメージをけがしてしまったことが事実です。数カ月まえ、彼女が独立して、あえて小舟に乗り換えて再出航していき、さらなる航海に挑戦して頑張っていこうとしている姿勢に、女優として以前に人として、今どきこんなにたくましい人はいないぞと感じ、私は惹かれました。この人と切磋琢磨できそうだ、一緒に頑張れるぞと思ってました。しかし今回引き起こしてしまったのは女優としての彼女の足を引っぱってしまったという事実。 自分のだらしなさを責めるよりも、まず水野さん自身に、ご親族、ご親戚、そして事務所の方々にお詫びを申し上げたい気持ちでいっぱいです。そして今回の件に対してのマスコミへの彼女の毅然とした対応に救われました。これから、当分のしばらくは、やはり不安にさせてしまったままかもしれませんが、それでも彼女のさらなる活躍を祈り見守っていきたいと思っています。もちろん私もそのぶん、頑張っていかなければと、ひとりの人間として固く決心しました。

これからもどうぞ応援のほど、よろしくお願いいたします。
北村有起哉

2006年10月5日木曜日

とりあえず、『走れメロス』を読み返せ

オレステス東京公演の最後の週に、父親が見にきてくれました。
そのヨル遅く に電話がかかってきた。俺の芝居へのダメ出しだった。役者を志してやっと10年経ったが、こんなことは初めてだ。いや、人生においても、いままで自分の進 路に関して何一つ云わずに黙っていたから、生まれて初めて、親父から息子に小言を、大先輩から後輩にアドバイスを、そんな内容の電話でした。
その 内容を細かく思い出すよりも、まずやはり驚きの余韻が未だ有り、そこからやってくる感謝の気持ちでいっぱいです。親父は俺に、簡単に言えば“オマエはそん なもんじゃない筈だろ、そんなタマじゃない。親父の俺が云うんだ、間違いない。ムスコよ、もっともっと頑張れる筈だ、理屈じゃない、とりあえず、やれ!”
今 日という芝居がすべていいワケがない。そのことを常に心がけて取り組んでいたはずの自分だが、さらに厳しく、心強く投げかけられました。親父と息子の思い 出は自分にとって皆無に近かったのだが、この電話からのメッセージは先輩からとしてではなく、それ以上にある親父としての声だと感じ聞いていました。
初 めてかもしれないという親父からの肉声。“芝居とか演技とか役者とか、どーでもいい、とにかくユキヤ、生きろ、もっと生きろ!”俳優としてはずっとずっと 下の後輩の俺は、聞きながら大先輩の具体的なダメ出しを真摯に受け止め、後輩として“ありがとうございます”と返事をし、その瞬間のヒトトキは息子とし て、親父の息子でよかったという念が溢れてきました。またさらにチューンUPしてエンジンが大きくなったかな、ならざるをえないし、・・・ハァー、と一つ ため息しても、あしたがあしたもやってくる!

2006年10月3日火曜日

東京千秋楽

おかげさまで無事に東京公演が大盛況でおわりました。やっぱりあっという間でした ね。今回の舞台は本番中に発見することがたくさんあって、どんどん自分の役が進化していくのが楽しいです。ほんとどうかと思うほど、初日からくらべるとだ いぶ変わった気がします。共演者のみなさんも、その一回公演で“生”を“Live”を大事にしてくれるので、一緒にやってても興奮できて、充実したひとと きを共有させてもらってる感じです。まだ大阪、名古屋と、芝居は続きますが、更なる進化(退化?)目指して頑張ります。